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家族が寝静まった、この時間がすきだ。
ラジオの音も、足音も、ため息すらも聞こえない、この時間。
リビングで、さきほど片付けたばかりの食器を入れた乾燥機だけが、黙々と稼働している。
チープな表現だけれど、こうしてひとりまったりとした時間をすごしていると、まるで世界から切り離されてしまったような気がしてくる。そんなのはもちろん気のせいで、切り離されてしまう余地も、切り離してしまえるほどの余地もないくらいに世界は寛大で、寛容で、そして、ときどき意地悪だ。
これまではまったくそんなことなかったのに、ここ最近よくわからない夢をみる。
ぎすぎすとした、あまり穏やかではない、夢。
はてなぜだろう、と考えても心当たりはない。
朝からじくじくと頭をいじめる痛みが不安を助長させたが、原因はドライアイであった。雀の涙ほどしか残っていなかった目薬をさしてごろんと眠りに落ちれば、頭痛はゆるやかにひいていった。めんどくさいが乗じて眼下に行くのを渋っていたが、こうも支障が出ては困るので、日が昇ったら早々に出かけようとおもう。日曜日にあいている病院は神様みたいだ。普段はそんなこと思いもしないけど。
やらなければいけないことが溜まって、ひとつひとつ片付けていくために書き出してみるも、その多さに目を逸らしてしまいそうになる。後回しにしてきたことの山なので自業自得でしかないけど、こう、うまくスイッチが入らない。ナマケモノのように生きていきたい。と考えて、いや、そんなつまらない人生も嫌だな、とすぐに撤回する日々。
とにもかくにも、来月に控えた引っ越しにむけて荷造りをしなければいけない。
あなたは人に口煩く言われるのが嫌いでしょうと、言った母が毎日のように荷造りをしろと囃し立てる。矛盾をつけばだって言わないとやらないでしょうという。いやそれ理由になってないし、言われたってやる私ではありませんよ、と、絶賛反抗期中。
けれどこのまま放っておけば火山が噴火するのは目に見えていたので、空の段ボールをひとつ組み立てておいた。それを見て一日ひとつずつの段ボールじゃ、間に合わないよ、という母の声からは、予想通り棘が抜けていた。
今日は恋人に会えない日。
寂しさをまぎらわせるために缶チューハイを空けようか。
特別な異性の存在などなくても生きていけると強がったときもあったけれど、家族でも友達でもない大切なひとがいるというのも、くすぐったくて、いい。
夜が更けていく音に、耳をかたむけながら。
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昨夜、すこしだけ出てこれる? と連絡してきた恋人と、ちかくの店へ。
紅茶を啜りながら他愛のない話をして、食品を買うのを付き合ってもらって。
もう解散しようか、というとき。
まだ一緒にいたいといったわたしのわがままを、恋人はあっさりと聞き入れてくれた。
明日も仕事なのにいいのと聞けば、俺も一緒にいたいからといって、泊まったラブホテルはいままで行ったなかで一番粗末なつくりだった。
やっぱりこの辺はだめだねってふたりでわらった。
朝、仕事へ向かう恋人にくっついて駅まで出てきた。
卒業を控えたいま、学校は休み。なのにこんな早い時間に外にいることが可笑しくて、寒さに耐えかねたふりをしてきゅっと彼の手を握る。
ほどほどに頑張ってねと恋人を見送り、そのままスタバへ。
ホットのラテを頼み店内で文庫本を広げた。
わたしは中学生のころ、それも受験生のとき、勉強そっちのけで本を読み漁っていた。
書店に並んでいるもので気になったもの、好きな作家の未読作品、など。
でも夏目漱石や太宰治といった、名のとおった文豪の小説は、授業以外で触れたことがなかった。
わたしは、最近の作家でも、それこそ新人のものでも。誰のどの作品を読もうが読書が好きだと口にしていいと。読書好きを言葉にするのに、必ずしも漱石らの作品を一読している必要はないと思っている。
だからいままで特に手にとろうと思わなかったのだけど、たまたま目にする機会があった夏目漱石の「夢十夜」を読んで、もう何十年もむかしの作品が、いまも書店にならび、そこにある理由を、あらためて知った。
そういうわけでさっそく、ふらりと立ち寄った書店で購入したのが「銀の匙」なのだ。
ゆっくり、ゆっくり。大切に文字を追いながらラテを啜る朝の、なんと優雅なことか。
ラテを飲み干して、読書もそこそこに外にでた。
時刻はようやく十時をむかえようとしていて、とおりすぎるどの店も、店員が忙しなく開店準備に追われていた。
リュックを背負った老人が、おはよう、と店のシャッターをあげる女性に声をかける。おはようございますと返ってくる声は、さすが気持ちのいいそれだった。
ちいさな少女は、その年齢よりも随分おとなびた様子で、目を細める。日を反射させる黒渕のフレームが、なんだかプライドの塊であるように、みえた。
ラテであたためたはずの身体が、思いのほか、さむい冬の空気にさらされて。
職場へむかう恋人にカイロをあげてしまったことを後悔して、でも、別れ際、ありがとねと微笑む彼の顔を思い出して、まあいいか、と帰路についたのだった。